右腕を失った父が、鉄くずに見出した未来——岡田商店、三代70年の「循環」の物語

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愛知県豊川市に、昭和28年から鉄くずとともに歩んできた会社があります。有限会社岡田商店。創業者の岡田護さんが一代で築き、現在は3代目へと事業が受け継がれています。

話を伺ったのは、2代目の岡田重憲さん。右腕を失った父がなぜスクラップ業を選んだのか、価格の乱高下をどう生き延びてきたのか——70年の歩みを語っていただきました。

鉄くずがトヨタの車の一部になる——再生資源卸売業とは

岡田商店の事業は「再生資源卸売業」。捨てられるはずだった金属の端材や鉄くずを買い取り、選別して問屋へ送り届ける仕事です。

「昔は製鉄原料商や製紙原料商と言われて、そう書いてあるトラックもけっこう走っていたんだよ。製鉄は金属や鉄くず、製紙は段ボールや新聞紙のこと。今は市がリサイクル回収してくれるところが多いけどね」

岡田商店で選別された資源は、問屋であるアスカ工業に集荷され、その先のトヨタ自動車などへと渡っていきます。ほんの一部ではあるものの、さまざまな業種から集まった鉄くずが製鉄され、薄く伸ばされ、ホイールとなって、完成した車に組み込まれているのです。

一方で、資源の価格は需要と供給で決まるため、世界情勢に大きく左右されます。印象的だったのは、2008年の北京オリンピックの話でした。

参考:国家体育場(鳥の巣)(写真提供:VCG)

「中国が『鳥の巣』みたいなスタジアムを作るのに、ステンレスや鉄くず、電線の銅まで、多くの資源の価格が上がった。でもオリンピックが終わる前に、ドーンと一気に下がっちゃってね。あれは今までで一番落差がすごかった」

ゴミになってしまうはずの金属を整えて、製品としてよみがえらせる。「環境にいいこと、循環型社会の一部なんだ」と重憲さんは言います。この循環の輪は、70年前、一人の男性の再出発から始まりました。

右腕を失った父が選んだ道——昭和28年、岡田商店の創業

創業者の護さんは、もともと農業の道を歩むはずの人でした。

「父はソウル大学で農業を専攻していてね。父の兄が農家をしていて、その手伝いをしていたんだけど、自立しないとと思って分家した。今の岡田商店の土地をもらったけど、農業でやっていくには面積が狭くて、不向きだった。『この土地で頑張ってね』という感じでね」

さらに護さんには、大きな試練がありました。25歳のとき、古い繊維を綿に戻して糸に紡ぐ「ガラ紡績」の工場で働いていた際、機械に利き腕を巻き込まれ、労災で右腕を失ったのです。農業高校の教師になる道も考えましたが、実習が難しいと断念しました。

農業には狭すぎる土地と、失われた利き腕。それでも護さんは、下を向きませんでした。

「戦後の復興で、これから日本の経済が伸びていく時代だったからね。鉄くずも値段が上がって儲かっていくから、父はいろいろ考えて、鉄くずを売る岡田商店を始めたんだ」

昭和28年(1953年)2月11日、スクラップ事業を開始。この挑戦を、すぐ隣で支え続けた人がいます。護さんの妻、隆子さんです。

1t トラックを走らせた母——夫婦で築いた創業期

「私たちが住む地区で、女性で2番目に車の免許を取ったのが母でした。昭和33年かな。その頃に2人目の子どもが生まれて、大変だっただろうね」

右腕のない護さんが免許を取れたのは50歳を過ぎてから。それまで、資材を運ぶ1トントラックのハンドルを握っていたのは隆子さんでした。

「母のトラックが途中でパンクして、夜になっても連絡がとれないこともあった。携帯電話もない、公衆電話も近くにない時代だからね。家で子どもが2人待っているのに」

夫婦で駆け抜けた創業期には、時代を映すエピソードも残っています。豊川自衛隊の入札に同業者と共同で参加し、荷物をまとめて引き取ったときのこと。トラックいっぱいの軍足(自衛隊の靴下)は丈夫で機能もよく、同業の金属リサイクル会社の社長がまとめて買ってくれたそうです。作業服などの繊維製品も、専門の業者へ売って送りました。

鉄くずに限らず、目の前の資源に価値を見出してつないでいく。岡田商店の原点は、この創業期にすでにありました。

売値1円の時代を、どう生き延びたか——2代目の苦闘

重憲さんは昭和47年に豊橋商業高校を卒業してから、岡田商店ひと筋。大きな会社との取引が増えたことを機に、平成15年(2003年)に会社として形態を変え、同時に2代目として事業を継承しました。

いちばん大変だったのは、金属価格の暴落だったと振り返ります。

「下級品にいたってはマイナスだったから、こちらがお金を払わないといけない。電柱の電線やワイヤーをまるめたものもマイナス。売れたとしても1円。そんな時代が半年から1年ぐらい続いたときは大変だったね」

重憲さんが選んだのは、「貯めて、待つ」ことでした。当時は土地を借りて資材を置いておく場所があったため、価格がプラスに転じるタイミングまで持ちこたえたのです。鉄くず以外の資材も扱っていたことで、経営は総合的に成り立っていました。

「株価と同じで、資材の価格は安定しないし予想できない。結果論で『あのとき売らなくてよかった』ということもあるよ。今は借地がないから、その時の価格で売ってしまうことが多いけどね」

相場に一喜一憂せず、淡々と資源をつなぎ続ける。その背中は今、次の世代に引き継がれています。

「無理に継がなくていい」——3代目の息子と、これから

現在、岡田商店は重憲さんの息子さんが3代目として事業を担っています。きっかけは、創業者である護さんの「早く帰ってこい」という一言でした。

「息子は、自分の理想とは違う人生になっているかもしれない。でも、私たちの力になってくれているから、ありがたいと思っているよ。私たちはパソコンが苦手だけど、お客さんとメールでやりとりすることも増えた。時代の変化に合わせて、息子が一緒に仕事をしてくれるのはありがたいね」

一方で、孫2人への事業継承には、こだわらないと言います。

「4代目としてやるかは分からない。そのとき考えてくれればいいし、無理に事業継承しなくていいと思っている」

継がせるのではなく、託せるときが来たら託す。70年続いた家業の3代目への想いは、驚くほど風通しのよいものでした。

「三方良し」——父の遺志を継いで

最後に、これから大切にしたいことを伺いました。

「『三方良し』ということでね。自分のところだけではなく、社会のためになって、相手のことも考える。みんなにとってよいところを目指していきたいと感じているよ」

捨てられるはずの鉄くずが、選別され、溶かされ、車の一部になって社会へ戻っていく。そして、右腕を失った父の挑戦が、息子へ、孫へと受け継がれていく。岡田商店が70年回し続けてきたのは、資源の循環だけではなく、想いのバトンでもあるのだと感じた取材でした。

会社情報

有限会社岡田商店

  • 住所:〒441-0101 愛知県豊川市宿町金山67
  • 事業内容:再生資源卸売業
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